エマの描写をめぐっての騒ぎに対する意見

こういうのは言及するだけで騒動を大きくするから控えようかと思ったが、どっちにしろすでに騒動が大きくなっているので言及。

漫棚通信ブログ版-マンガと差別問題「エマ」
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_ccc5.html
「エマ」
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_fad8.html

上記ブログで、「エマ」6巻に出てくるひとさらいの描写はユダヤ人に対する悪意を持ったカリカチュアではないか、差別問題になるのではないかとの指摘がなされ、話題を呼んでいる。
 
上記リンク先両方とも通読させてもらったが、はっきり言って「たまたま目に付いたから大げさに批判した」レベルの粗雑な議論だと俺には思えた。
 
例えば、ユダヤ人団体Simon Wiesenthal Centerの名をあげて、彼らによって雑誌マルコポーロが廃刊に追い込まれたという実例を示すことで「エマ」も同様に問題だとしているが、マルコポーロが廃刊になった原因の記事はナチ「ガス室」はなかった。と題するもので、「ホロコーストはなかった」とまで言っている内容のものだ。このような内容のものと今回の「エマ」の描写(そこにはどこにもユダヤ人とは書かれていない)を同列に並べるのは粗雑極まりない。
 
さらに、

ここは、フィクション(多くは映画やTVです)の中の登場人物であるユダヤ人への偏見も正そうと活動しています。日本マンガが無視されているとは思えないのですが。

と言うが、では現実に果たしてSWCがそこまでチェックしているかというとこれは推測でしかない。しかも、その推測に根拠がないどころか、むしろ怪しいとしか思えない現実例がある。

例えば、平野耕太の「Hellsing」。ここにはナチスドイツの残党が出てくる。ナチスは言うまでもなく欧米ではタブー視された存在であり、SWCにとっても重点的に目を光らせる対象であることはそのホームページのトップ画像からもよくわかる。もしもSWCが厳しくチェックをしているならば、「Hellsing」も規制の対象になる危険はあるだろう。しかし、実際にはそんなことはない。それどころか、アメリカで売られている英訳版ですらほぼ完訳に等しい状態で販売されており、作者の「ナチスが好きだ」というコメントでさえも、訳者の「彼のジョークを許してください。きっと、本心でなく作品の後半でナチスの出てくるのでその為でしょう」というフォローつきとはいえ掲載されている。(参考
さらに別の例を出せば、有名も有名どころの「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるシュトロハイムなど、「ナチスの科学は世界一チィィィィ!!」だ。これ、現実に問題になりました?ジョジョって今も手に入りますよね?

また、

差別に世界標準はあるのでしょうか。これは一般的な日本国内の差別については、ないでしょう。ただしユダヤ人問題については、あります。

と言うが、ならば、日本国内では問題にならず、海外に輸出する際には手直しすることでクリアしている表現が現実にあるのはどういうことだろうか。有名な例で言えば「キン肉マン」のブロッケンマン、ブロッケンJr.はあからさまにナチスドイツ将校をモデルにしているため、海外では色々と手直しがされたが、日本国内では特に問題は起こらなかった。ユダヤ人問題とは離れるが、ドラゴンクエストの教会の十字架マークが海外版では直されたのも、やはり海外では問題視されるが日本国内では問題視されないという証左だろう。漫棚通信氏は

わたしの考え方は、表現の進歩を害するものかもしれませんし、あまりにプラグマティックすぎるかもしれません。

と言うが、「プラグマティック」を称するのならば、せめて最低限この程度*1の「日本国内で許されている表現の現実」と照らし合わせた上で、それでも「エマ」の描写が問題になるのかどうか考えるべきではなかったのか。厳しい言い方をさせてもらえば、たまたま自分の知っている範囲内で引っかかったから脊髄反射しただけにしか見えない。そして結果としてこのような騒ぎを生み出すことで自主規制のハードルを上げるように促す機能しか果たしていないのではないか。「反省しています」と書いてはいるが、もっと深く考えてほしいと一マンガ読みとして心から思う。

*1:表現と規制の問題について大した知識のない俺でもこの程度はさっと見つかるわけです