ゲーム対談 第一回 ゲームと身体性とスポーツ

id:laisoさんとゲーム語り対談しました。
 
にっく「こんばんは、ゲーセンの文化系(中級以下)です*1
laiso「ちょうどそれ見てましたよ」
にっく「例によってブクマ数多すぎでちょっと驚き」
laiso「煽るから」
にっく「やっぱ煽り気味だと伸びるんだなあ」
laiso「俺も参戦したい!」
にっく「身体性論争しますか!」
laiso「よしこい」
にっく「ここで言ってた一人プレイは覚えゲー、って意見は俺異議ありなんだけど。それってアケゲー全般?対戦格闘の一人用?後者ならわかる」
laiso「ゲーム全部」
にっく「前者なら、覚えてもそこに操作がついていくかで手や目が大きく関係するから異議あり。だって俺、ワンコインクリアしたシューティング3つしかないし!まあ俺が下手だと言われたらそれまでだけど」
laiso「ベットが足りない」
にっく「そこ全部それに還元しますか。まあ、ベット=情熱、と置き換えるなら、その部分も大きいと思う」
laiso「ゲームで必要な身体能力って日常生活が支障ない程度のモノでokというのが私の意見」
にっく「んー、支障がない程度ってのがどういうニュアンスを意味してるのかわからない。
もうちょい詳しい説明希望」
laiso「えーと、目が見えないとか。」
にっく「だってそれだと、『140キロの球打てるかどうか』とかも同じじゃん?」
laiso「ゲームで140キロの球を打つ状況が思い浮かばない」
にっく「例えばシューティングだと、難しいところでしっかり弾をよけれるかどうかは、覚え+その通りに動かす、の両方が必要になるじゃない。まあ天才なら覚えてなくてもいいけど、それはとりあえず例外でおいておいて」
laiso「んーとねー。ゲームでは一定以上の身体能力は要求されない。そのラインも時間を割く(覚える)ことで到達可能。その上達過程の効率の上げ方、他タイトルからのノウハウの下積みみたいなのが俗に言うセンス的な何か」
にっく「うーん、手先の動かす技術はあまり重要じゃない、って考えになるのね」
laiso「そうですね」
にっく「なるほどなあ、『その上達過程の〜』はすごくわかる。例えばサブキャラ使ったときの強さの違いなんかに大きく表れるし。でも、問われる身体能力はゲームによって幅があるけど、やっぱりそのハードルが高いものに関しては差がどうしても出ると思うなあ。あと、先を見据えた大局的な判断とかは、レイレイ理論だと覚えの範疇?」
laiso「覚えというか慣れみたいなものだと思うんだけど。えーと、じゃあ例えば『ランプが光ったらレバーを右に入れて下さい』というテストをやったとしよう」
にっく「うんうん。フラッシュでそれ計る奴あったな、海外ので」
laiso「それはある程度くり返していれば自分がする動作を分っている訳だから個人差はでない。出てもゲームに影響がない程度で。で、そのテストがもっと複雑なかんじの動作になったのが『覚えゲー理論』」
にっく「ふーむ、なるほどなあ。理解は出来るけど賛同できない(笑)確かに一つ一つの場面で切り取ると、そこに最適解があるからわかるんだけど」
laiso「うーんどこから来たのかというと、ゲーム上手いヤツはやっぱりそれなりにやっているということを見たので。仮にゲームのうまさの数値みたいのがあっても、割り当て時間=うまさ数値に比例はしないけど」
にっく「うーん、俺のイメージしてるのは、それなりにやっている同士、一般人から見たらどれも『すごい上手い』と言われるようなレベルに達している上で、大会で常に上位行けるようなクラスと、その手前との差みたいな感じなんだよね」
laiso「別の切り口で『グーを出したらパーを出す』とかのテストだったらどうだろうと思った」
にっく「あー、俺のジャンケン理論だと、動体視力&指の動かす速さが常人よりずば抜けて優れていたら勝率上がる。だからジャンケンは究極的には運ゲーではなくアクションゲーになる」
laiso「壁がある、みたいなもんですか」
にっく「壁、というと抽象的になるけど、実際のスポーツと同様で、ある程度似た体格、体力の人間同士でも、そのスポーツにふさわしい適切な動きを繰り返せるかどうか、というのはやっぱり差がでるじゃない?」
laiso「『備えてるモノが違うとどうやったって無理なんだ』――非モテ理論!」
にっく「なんか『努力vs才能』みたいな話になってきました!」
laiso「それだな。アケ板の定番」
にっく「悟空vsベジータ!まあこの両者をすっぱり二択にするのは間違いだけど」
laiso「だねぇ、全く同じ同じ検証とかできないから、どうしてもたらればに」
にっく「なんだろう、これは、最終的に『勝った者が強い』になってしまう話だなあ(笑)永遠のテーマ」
laiso「それだ!勝った者が強い。ああでも一人プレイの話か」
にっく「一人プレイの場合はスコア勝負でしょ。スポーツで言えばゴルフとか」
laiso「で、努力でくつがえらない、才能が必要な領域があるとして、ふつうにゲームを一人プレイする場合は、そこまで要求してこないんじゃないの、と」
にっく「あー、ふつうにハードル低くしていればまあ『覚え』+『それを続ける情熱=ベット』で十分ってことかあ」
laiso「デバッグとかしてる訳だし。一人プレイってつけたのはそういうことだきっと。でもスコアラーのことは完全に考えてなかったけど」
にっく「俺はスコアラーのこと念頭に置いてた」
にっく「何だろう、これはまあ俺の偏りでもあるのかもしれない。『極める』というベクトルが俺の中で大きい。音ゲーなんかは実際そっち方面に進んで、マニア化激しいしね。『見ろ、ポップンやってるあの腐女子を!』*2みたいな」
laiso「音ゲーで純オタクの人もアーケードに参入してきたみたいな話がったような」
にっく「うん、音ゲーの客層見てるとそういう雰囲気の人はけっこういるね。DDRあたりやってたころにそういう知り合いも一応いた」
laiso「で、そういう客層向けにビデオゲームも移り変わってきたり」
にっく「でも、表面的には純オタク向けでも、最終的にコア占めるところにはゲーオタ的というか極める系の人が残ってる印象が強いなあ」
laiso「俺の言うところのガチ勢<極める系の人」
にっく「そうそう、ガチ勢。ていうか長期間になると、ガチ勢以外の人は「もういいかな」で離れてしまう感じもする」
laiso「ゲームにゲーム以上のものを求めているみたいな」
にっく「ゲーム以上、というか俺の価値観だとアケゲーは「ゲームは戦い」だなあ(笑)」
laiso「普通にゲームとして楽しむなら「クリア」という指標がある訳だからそこで満足しちゃうしねぇ」
にっく「一定のハードルをクリアすればその先を自分から設定しにはいかないしね」
laiso「まぁ対戦ゲームでは囲碁将棋的な感覚を持ってくる人かなぁ」
にっく「ふははは。俺、まさに囲碁部だったしなあ。野球部も入ってたけど。囲碁部にして野球部の俺がアケゲーを語るからこうなってるのかもしれない!(笑)」
laiso「俺卓球部!」
にっく「卓球!一見地味だけどけっこうハードな卓球!」
laiso「70年代運動部系だったら精神論ど真ん中でしょー」
にっく「ジャンプ黄金期世代だしね。でも、精神論はわりと薄まってきた時代だったかも。理論的なトレーニング、とかに目が向けられ始めた時期だったから。うちの野球部でも、某強豪のチームドクターだった人がうちのOBだったってんである日コーチになって、色々理論的な筋トレとかのメニュー作ってきたけど、結局けっこう精神的だった(笑)」
laiso「俺、ど精神論だったなぁ。指導者に寄るのか。それともやっぱりトウキョウ的な(略)!」
にっく「『水は飲まないより飲む方がいい。飲むよりも飲み過ぎるほうがいい』とかレクチャーしておいて、実際には全く飲ませねえ!!!!!!!精神論なのか科学論なのかよくわかりませんでした」
laiso「ありげだ。精神論が抜けきれてないみたいな」
にっく「そうそう(笑)精神論に根ざした科学的トレーニングとでもいうか」
laiso「でも精神論が全く不要かというと、そうではないんだよなぁ。人間だから」
にっく「そうなんだよね。やっぱりやるべきことをしっかりやらなければならなくて、そこのタガを緩ませないために必要となる部分はある。まあ、本来の意味でのモチベーション、動機付けの問題だとは思うんだけど」
laiso「ハイテンションな自己啓発
にっく「わらい
にっく「でも囲碁部はそういうの全くなくて、楽しみながら強かった。うちの高校、全国団体戦優勝した。俺は弱いから出てないんだけど(笑)」
laiso「でてねーのかよ(笑)」
にっく「俺は二段認定戦レベルだった(笑)」
laiso「そういや、格ゲーはスポーツだ! という言葉を思い出した。これは身体能力の意味なのか、精神論の意味なのか」
にっく「両方じゃないかなあ。でもまあ精神論だけでも通用しそうだ。囲碁とかもやっぱりスポーツみたいなもんだし」
laiso「やっぱゲーセンは体育会系ですか。勝負事は全部スポーツにできそうな気がしてきた」
にっく「体育会バリバリまでは行かないけど、そっちに近い部分はけっこうあると思う」
laiso「勝負事じゃなくても『自分との戦いだ!』とかいって無理矢理に」
にっく「『○○はスポーツだ!』問題だ(笑)」
laiso「ドミノはスポーツだ!」
にっく「あやとりはスポーツだ!」
laiso「『言いたいだけ』系の言説であった」
にっく「えー」
にっく「まあ、ここで言う『スポーツ』の意味してるものはなに?って話になってくるね。ジョギング的なものは確実に意味してないわけで。要するに『勝負事』じゃないの?っていう気もする。そうすると『対戦ゲームはスポーツだ!』=『対戦ゲームは勝負事だ!』」
laiso「物凄い勢いで連打コンボ入れてる人が居てその人が言ってて、運動量が多いだけじゃネェか!と思った」
にっく「(笑)」
laiso「あたりまえのことをいってるだけだなー<勝負は勝負だ」
にっく「まあ『○○はスポーツだ!』という言葉には、前提となる『スポーツ的価値観』が背景で共有されていて、一般的にはスポーツの範疇にないものにもその価値観が存在しているよ、ということを伝える言葉かな」
laiso「そんなかんじ」
にっく「亜流として『○○は格闘技だ!』があるなあ(笑)これは宮沢章夫のエッセイにあったな。アイスホッケーを「氷上の格闘技」とかについていじるエッセイだった気がする*3
laiso「やっぱり『言いたいだけ』系だ!」
 

*1:ブックマークコメント参照

*2:コナミ音ゲーポップンミュージック」シリーズは腐女子人気が高く、すさまじい腕前の腐女子を見かけることもザラである。

*3:新潮文庫「よくわからないねじ」収録のエッセイ。宮沢章夫氏のサイトにその一部が載っている。