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新しいPCを買った!!Core2 Duo E6850 3.0GHzでメモリ2GB。ドスパラで買ったので安かった。しかし安いということはつまりパーツが全て安いということで、いつトラブルが起きても不思議ではない。まあトラブル起きたら起きたでそっからは勉強しつつパーツを交換していけばいい。メーカー品だって壊れるときはすぐ壊れるしな。昔買ったIBMのPCは1ヶ月で起動しなくなり、出張サポートの人に来てもらうと、軽くいじって分解してHDDを取り出し、おもむろに「物理クラッシュ」と書いた付箋を貼り付けられた。いい思い出。


あと、モニタを三菱の24インチ液晶モニタにした。でけー。PC用には不要だろってでかさだが、これはHDMIに対応しているモニタであり、すなわち、もうすぐ発売するXBox360ELITEを接続しようという企みなのである。とにかく楽しみだ。

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最近の一部のネット社会の瞬間的爆発力と風化スピードはドッグイヤーどころかその二乗という勢いなのですでに旧聞に属する話になりつつあるが、例の斧事件絡みの放送自粛の件で、ちょっと気になって過去の放送自粛リストみたいなのはないか探したんだが、残念ながら封印作品 - wikipediaの履歴に検証が粗い状態で封印作品リストがあるくらいだった(2007年9月8日の版)。必要だったら自分で作るべきなんだから、wikiで作ろうかなと思ったが今のところ忙しくてまだやってない。そこの若いあなた!インターネットはあなたの力を求めている!


まあ、自主規制がないならないに越したことはないんだが、個人的にはそれを叫んでもなーというスタンス。特にテレビみたいなマス媒体では制約が多くて当然だろうと思うし、規制を受けるってのはそれだけ影響力を恐れられる証なわけだからね。その表現をどうしても流通させたい人たちがいるならばそうした人たちの手で自主流通させればいいと思うんだよね。マス媒体での自主規制を批判することもそれはそれで意義のあることだと思うけれど、不特定多数向け広告モデルで制約が増えるのは残念ながら当然のことなので。

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上の話を書いていて思い出したが犬にかぶらせろのこの記事で、「コンテンツに金を払うかどうかという問題なんじゃないか」という意見が出ていて、俺も基本的には同感、なんだが、例示されているUインターとかRINGSはちょっとそこで出される例としては不適切だと思ったので、プロレス・格闘技に造詣の深いgotandaさん相手におこがましいのもいいところだがちょっと指摘。UインターもRINGSも基本的に地上波コンテンツじゃなく、観客が会場に足を運んでチケット代その他にお金を落とすことで成り立つコンテンツで(RINGSの場合はWOWOWのバックアップがあったから分けたほうがいいかもしれないが)、どちらも人気が安定していた時期はその形で成り立っていたわけだから、gotandaさんの言う「コンテンツに金を払わない文化が問題」というのにはあてはまらないんじゃないだろうか。というか、両者の前身である第二次UWF自体がプロレス界としては始めてのテレビ放映に頼らないスタイルを切り開いたわけで、むしろプロレス・格闘技コンテンツの世界には電波に頼らない現場文化が根付いているんじゃないかと思う。


ただ、大掛かりでダイナミックなイベントを指向すると、電波媒体のバックアップがあった方がいいのは確かで、PRIDEの全盛期にあれだけの人材が揃っていたのも豊富な資金力ゆえだったのは間違いないだろう。そう考えると、マス媒体ならではの資金力のパワーってのも捨てがたいし、それに比肩するだけの資金力を電波に頼らない興行モデルで生み出すのはいくら多くの人が現場に足を運ぶようになってもよほど気前のいいパトロンがいない限りそれだけでは難しいだろうから、何とも痛し痒しなのかなと。そう言えば最近読んでいる最中の宮沢章夫の本で日テレの土屋敏男氏が出てきて、第2日本テレビで配信している松本人志のコントは価格210円で2000万くらいの売り上げ(てことは約10万人が買っている計算になる)で、制作にかかった費用はその4倍くらいなんて話があった。


ところで、プロレス・格闘技のビジネスの変遷を具体的な主要団体総ざらいする形で描いた本とかないんでしょうか。gotandaさんが書いたら3冊は買うね。先に挙がった団体のみならずK-1とかNOAHとか闘龍門はもちろんWWEまであれば最高なんだけど。あとまあ他にも地上波に頼らないコンテンツっていっぱいあるから、その辺も色々知りたいところだなー。Jリーグもそうだし、宝塚歌劇団とか劇団四季とかフジロックなんかもそうか。

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猫猫先生の10月4日の日記で「ネットを頻繁に用いているのは、大学院生が中心だ。つまりインテリ及び亜インテリ」と書いているのだが、これは観測範囲に誤りがあるでしょう。はてなブックマーク界隈あたりにはまったく浮上してこない、猫猫先生の分類だとまさしく「庶民レベル」のブログ階層というのがもう何年も前から確立していて、その階層はその階層で循環している。ブログ検索で試しに「沢尻エリカ」あたりで検索して適当なブログを開くと、まさしく「庶民レベル」の簡単なコメントしか書いていないブログに数十のトラックバックがついていて、それを辿るとどれも似たりよったりという姿が見れるはず。「とりあえず何か一言言いたい」という一応能動的な欲望を満たすための装置としてブログは手ごろなので、そうした人たちが互いにうなずきあうようにトラックバックをしているというわけだ。ワイドショーの補完装置としてこの層にブログはすっかり定着してしまった。


猫猫先生でもうひとつ。けっこう前に猫猫先生要するに、「低学歴臭」が漂っているのだと書いた記事に「学歴差別」という反発がけっこうあったんだが、あれ、俺個人的には猫猫先生が言わんとするニュアンスに納得できるだけに反発の多さに驚いた。それだけ学歴ってタブーなんだなと。俺は自身がドロップアウトした身だから体感としてわかるんだが、マクロな傾向として学校によるメンタリティの違いってのは確実に存在する。自意識の発露の仕方にしてもそうだし。色んなクラスターを渡り歩くことで、「ああ、なるほどこの世界だとそういうもんなんだ」みたいなのをいっぱい見ることができて、それを俺は面白いなと思っているんだが、うわべの「学歴差別はいけない」という態度によってそうした違いを隠蔽してメンタリティの差異を全て個人の資質に還元するというのはどこか気持ち悪いと思った。別に低学歴が悪いって言ってるわけでもないのにね。まあ、俺自身もこれを書けるのは「俺は高卒ですから」という安全ポジションを確保した上でのことなのでその意味では若干卑怯な立ち位置を確保していることへの羞恥心はある。


しかしまあ、表面的な「学歴差別」的物言いに敏感に反応してしまう人こそ、自分のメンタリティに刻まれた学歴という楔と向き合ってみるのもいいんじゃないかと思うけどね。大きなお世話か。