遅まきながら、赤木智弘氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』を読んだ

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率直に言って、その思想には賛同せずとも、一つの理として共感を否定することはできなかった。俺自身が同世代であり、また、(俺の場合は自ら積極的に望んだ上でのものではあるが)フリーター生活をそれなりに長く経験してきたことが影響しているというのも否定しない。いくつかの条件が異なれば、俺もまた彼と変わりないところにいたかもしれないと思う。


世代論に引き込まれるのは好みではないが、バブル崩壊が自身の思春期に起こり、メンタリティに少なからぬ影響を与えたという点では、俺も「ポストバブル世代」に属さざるを得ないだろう。1990年前後、ちょうど中学から高校の時期、バブル景気とその崩壊というのは実体以前にイメージとしてのインパクトが大きかった気がする。


ただ、俺の記憶では、それ以上にベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊などの東西冷戦の終結と同時に左翼のリアリティが急速に失われていくことのインパクトの方が実感として大きかった気もする。例えば、たぶん18くらいのときだったと思う。お茶の水から駿河台下へと向かう道の横にはまだ建て替える前の明治大学の建物があり、そのフェンスには、左翼の立て看板がひっきりなしに並んでいた。それを眺めながら坂を下っていたとき俺が考えていたことは今でも鮮明に思い出すことができる。結局、この立て看板は本当に人々に物事を伝えようなどとは全くしていない、ただの時代遅れのファッションであり、手っ取り早く安易な居場所を求めようとしているだけに過ぎない、そんなことを思っていた。そしてその一方で、右翼の街宣車が「アメリカは敵ではありません!日本の同盟国です!」などと叫ぶのを聞いて、そっちの方がよっぽど説得力があるなんてことも思ったりした。


55年体制崩壊なんて言葉が叫ばれ出したのが正確にはいつからか、微妙なタイムラグは曖昧だが、すでに実感として時代は変わらざるを得ない、「素朴で良心的な庶民」という権力の立ち位置にはいられないという感覚が、この当時にはすでにあったように思う。(その意味で、あれから20年近くもたった今ごろにサバイバルがどうたらとか言ってる馬鹿はひっぱたくどころかぶん殴ってやりたくもある。冗談だが。)


そうした空気に踊らされた結果なのか、物心ついたときからわがままだと叱られ続けてそれでもやはりわがままだった天性の我の強さの結果なのか、俺は大学へ進学することの意味が見出せず(それはつまり、一昔前には当たり前に考えられていた、その先の就職、結婚という一連の流れに対してリアリティを持つことができなかったということだが)、それからフリーターとしていくつかの仕事を経験したり、芝居に興味を持って劇団に参加したりと、完全にドロップアウトして過ごした。その経験は俺にとって、稚拙だった人生観や世界観を見直す時間でもあり、それがあって今の自分がここにいると断言できるので、全くの後悔はない。ただし、結局のところこう言えるのも、東京で生まれ育った俺の環境が相対的に恵まれていたからこそというのも否定はしない。ただ、俺はその恵まれた環境を生かすことには自覚的だった。何度親と喧嘩をしても、また、「パラサイトシングル」という言葉が流行し、ただでさえ「いい年して親元を離れて経済的自立ができないのは半人前」のような風潮があるところにさらに拍車がかかっても、俺はそんなうわべのプライドよりも経済的実益を取ってその分のリソースを自分の使いたいことに使うことを選択すると強く決めていた。これは今でも変わらない。そして、そうした理由で実家暮らしを見下す輩のことは、しょせん、そうやって見下す対象がないと己の厳しい生活にプライドを持てない、精神的自立の出来ていない人間に過ぎないと考えることにしている。


自分語りが過ぎるあまり話がだいぶそれてしまったが、今書いたことは、赤木氏と同世代である自分がどういうメンタリティを持って、彼とは異なる場所に立っているかということを指し示す一端だと思って欲しい。そして、俺は冒頭で共感を否定できないと書いた一方で、やはり彼の考えとは異なる部分も大いにあり、一番の点として、彼はなぜ、戦争という最大級のワイルドカードを望んでまでもなお、「社会の一員」という場所からは離れないのだろうかというところだ。社会の一員から外れることなど決してあり得ない人々にとっては不謹慎を承知で書くが、俺がもし彼(の文章から感じ取れる)くらいにこの社会において追いつめられたならば、無謀な反抗を起こすだろう。端的に言って、無差別テロを起こし、この社会全体に敵意と悪意を叩きつけるだろう。いや、言葉にするのは簡単だが実行は難しいので、できるかどうかはわからない。しかし、この社会全体を憎悪しつつも何も出来ずに屈辱と無念と憎悪を抱えて死ぬならば、せめてもの一撃と、純然たる悪意を叩きつけようとするだろう。


だが、彼の文章からは、そうした社会からの離脱への構えは一切読み取れない。「戦争を望んでしまう」というのは、社会の秩序の変更を望んでいるのではあっても、社会そのものからの離脱ではない。皮肉な言い方になってしまうが、なぜそこまで社会に対して真面目で従順なのだろうと思ってしまう。これは彼に限ったことではなく、ネット上で少なからず見かける、この社会に対して敵意や憎悪を抱いている人たちの多くに感じることだ。「サイレントテロ」と称している姿も見るが、それは俺にとっては、あまりにもささやかすぎる、とても哀しい最後の自己肯定として受け取ることはできても、決して「テロル」として、「恐怖」を与えるようなものとしては受け取ることができない。


また昔話になるが、99年に池袋のサンシャイン通りで通り魔事件があった。彼もまた俺と同世代であった。当時、夕刊スポーツ新聞で、彼のノートにテレビの女性アナウンサーの悪口が大量に書き連ねてあったという記事を読んで俺は思った。彼はきっと真面目で、古い意味での努力もしていたのだろう、しかし、真面目で努力している自分は報われず、テレビでは馬鹿そうな女がくだらないことを言ってはしゃいで金をもらっている、こんな理不尽は耐え難い、そう考えたに違いないと。そして犯行現場の池袋サンシャイン通り、きっと彼の目には道行く全ての人が幸せそうに見えて耐え難かっただろうと。彼の最大の不幸は、そうした憎悪を吐き出し、分かち合い、そして、決して皆が幸福なわけではなく、彼と同じような苦労とやりきれなさを抱えながらそれでもこの社会に踏みとどまって生きていこうとする同志を得られなかったことにあったと思うが、しかし、そんな彼が通り魔事件と言う名の反社会テロを起こしたことについては全く驚くことではなく、むしろ彼に感情移入すればすんなり理解できるストーリーだったと思う。もちろん、実際の彼の心情を知る術はなく、後から出た彼の言葉もまた後付けのフィクションである可能性がある以上(言葉なんてのは人が持つ感情に比べてあまりに不自由で表現の難しいものだ)、これは一つの物の見方でしかない。ただ、こんなわかりやすく陳腐なストーリーにすら見向きもせずに「闇」などの抽象的で雰囲気しか伴わない言葉を使って安易に「理解不能」の枠に閉じ込めたがる人々の姿は、俺の目にはとても奇異で、どこにでも転がっている悪意や、この社会へのささやかな不信から必死で目を背けて逃げようとしているかのごとく映る。


再び話を戻すが、そのような実際に起こる反社会テロ事件に比べれば、赤木氏の一連の文章は、「希望は、戦争。」というキャッチに反してよっぽど行儀がよく、ギリギリのところであっても決して「社会道徳」からは逸脱しないというその規範意識の高さに、正直驚かされる。そして、その「道徳」に対する意識から彼は右派の社会認識とシンクロすると書いているが、「道徳」の中身が違うだけで、彼の「戦争」というワードに引っかかってしまった左派もまたとても高い規範意識を持っていることは簡単にわかる。どちらにしろ、彼らは総じて社会から逸脱することなどあり得ない、とても真面目で「道徳的な」人々なのだ。


結局、俺と赤木氏の間で異なるものが何かというと、俺からすれば、彼に限らずそうした人々は、どんなルールを信奉するのであれ「道徳に対する規範意識の高い人」でしかないということだろう。もちろん俺には俺の「道徳のような、倫理のようなもの」というものが存在していて、それは生まれ育ってこの社会の中で過ごすことで培われたものであるから、一般的とされる「道徳」と重なる部分も少なからずあるが、俺がそのルールを守ろうとするのはあくまでも俺がこの社会の中で生き延びて満足せずとも納得して人生を終えるために必要なものであり、本質的には俺が許される限りエゴイスティックに生きるためのルールなので、それはどこまで行っても「道徳」にはなり得ない。きっと彼の理屈ではこの俺の理屈は、「行き過ぎた個人主義」の中に含まれてしまうのだろう。だが、俺の目から見ると、彼は「道徳」を、それを生み出す「社会」を、揺るぎなく実体を持ってそびえる概念だと信じすぎているようにも映ってしまう。もう取り戻すことの出来ないフィクションに縛られすぎているように映ってしまうのだ。




締めになる言葉を考え続けたが、適切な言葉が浮かんでこない。自分の手の長さを見誤ってはならない。だから俺は赤木氏にかける言葉を持とうとはしてはならない。ただ、赤木氏の文章に触発されて書いたこの文章が、彼に対しての俺のささやかなかかわりであるということだけは記しておこうと思う。