忙しいというか忙しくないというか

もう日記なんて全く書く余裕ないほど忙しい!などというほど忙しいわけはなくて、大体週70時間くらいは働いていたとしても、意外と残りの時間をやりくりすれば自由に使える時間も少なく見積もって週25時間か30時間はあって、週5日くらいはゲーセンにも行っているわけで、結局のところ時間は全ての人に平等に1日24時間あるのでたとえその中の可処分時間が少なくなったとしてもそれが0になるということはそうそうにあり得なくて、要するにプライオリティの問題に過ぎないので、「忙しくて○○をする時間がない」という言葉は「忙しくて(比較的プライオリティの低い)○○をする時間がない」と言ってるだけなんだよなということをしみじみ実感する。


そしてこの理屈で言うならば、忙しいというのはプライオリティの低いことをする時間が足りなくなるだけの話であって、それはそれで、1日24時間という変えようのない枠組の中でやりくりをしていったら必然的に切り捨てられるものが切り捨てられただけなので、別に忙しいというわけでもないのかなという気がする。まあ、通勤に往復4時間かかるとか、家族や肉親の世話に1日3時間くらい時間を割く必要があるとか、そういったやむを得ず割く時間が積み重なっている人こそが忙しいんだろうなーというか。この「やむを得ず割く時間」の捉え方にもよるけど。俺の場合は仕事というのは自らの限られた可能性の中から偶然と勢いと何となくの気分とで選び取ったものなので、やむを得ず割く時間ではなく、自ら選択した時間の範疇に入るし。


ゲームを始めとする娯楽一般は世において「暇つぶし」と称されることが多く、「暇つぶし」とは今までの俺の理屈においては「プライオリティのかなり低い行為」に当たるわけだが、ごく当然の話として万人のプライオリティが統一されているわけなんかなくて、もちろん食事と睡眠は最低限取る必要があるし、金がないなら金を稼ぐ必要がありはするが、それとてどの程度のものを得るためにどの程度の時間を割くかは個々人の選択の問題であって、最低限を越えた部分については娯楽に費やす時間と等価であって、その中でのプライオリティをあるときは無意識に、あるときは意識的に決めているのがその人の持つ根本的な価値観ということなんだろう。


何を言いたいのかわからない文章になってきたが、要するにこれは、今現時点においてしたいことを選び取ったら自然と書いてしまった文章なんだろうな。ほんとは最近考えていたことで書こうと思っていたことがいくつかあって、それについてのメモを残そうと思っていたのだが、「忙しい」という言葉についてふと考えたらこうなっていた。全くいいかげんなもんだ。だから面白い。これは一般的には「忙しいけどついしてしまう」に含まれる行動なんだろうけど、それはそうする必要があったことで、気分と衝動によって瞬間的にプライオリティが高くなったことだから、忙しいかどうかは全く関係なく必然的に取らざるを得なかった行動なのだ。たぶんこの物言いにはどこか詐術が含まれている気がするが、それはまあきっと明日寝坊でもすればわかることだろう。