「シューティングゲームに登場する美少女達の歴史」感想

id:p_shirokuma氏が書いたという
シューティングゲームに登場する美少女達の歴史
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/moe_stg.htm


雑感は色々あるのだけど、まず『フェリオス』が最初に来てしまうというのはなかなか微妙(笑)俺自身が『フェリオス』の露骨に媚びた部分が嫌いだったからという偏見もあるのかもしれないけれど。ちなみにフェリオス』の露骨に媚びた部分の一例を簡単に説明すると、
・面クリ後のデモ画面でショットを撃つと「触らないで!私のこと見たくないの?」とほざくアルテミス
・コンティニュー画面になると「はやく来て・・・」とほざくアルテミス
・それに騙されてコンティニューするととたんに「がんばって、アポロン!」とほざくアルテミス
・コンティニューしないと「どうして来てくれないの?」とほざくアルテミス
お前に金注ぐくらいなら『スーパーリアル麻雀P3』で「かすみ、勝っちゃったぁ!」って言われる方がまだマシだ、とまで当時の俺が思ったかどうかは定かではないが、話がそれた。


本題に戻るが、思ったのは、このコラムは「シューティングゲーム」というカテゴリーのみで括っているから

シューティングゲームに登場するドット絵キャラクターが異性として男オタクを発情させ得るに至ったのは、私の記憶する限りこれが最初だと思う。

“戦う美少女”というイメージは未だ生まれていない。

という解説がなされてしまうが、『フェリオス』('88)が出た80年代後半は『ワンダーモモ』('87)、『サイコソルジャー』('87)、『メルヘンメイズ』('88)、『ワルキューレの伝説』('89)、『バーニングフォース』('89)、あとここに同列に並べるのは微妙な気がするけど『タイムギャル』('85)といった美少女キャラクターが前面にフィーチャーされたゲームが少なからずあるので、この解説は当時のアーケード界隈の潮流を反映しているとは言い難いと思う。これらのゲームは『バーニングフォース』を除いてどれもアクションゲームなのだが、そもそも当時のアーケードゲームシューティングゲームかアクションゲーム、あとはドライブゲームくらいしかなく、ジャンルの壁はそれほど高くなかったので、シューティングゲームというカテゴライズの持つ意味合いが現在のアーケード界隈と当時とでは違うというところも踏まえていた方がいいんじゃないだろうか。90年代前半のところに記述されている『コットン』('91年)も基本的にはこの流れに沿ったものだろう。


まあこの流れを踏まえると結論部分で書かれている

メーカーがリリースする美少女の質的変化――捕まった姫君→戦闘機に乗った美少女→戦闘機を降りて戦う美少女――は、プレイヤー達の消費志向の変化を反映していると考えられ、オタク界隈における二次元美少女消費形式の変化に概ね沿ったものと考えて良さそうである

というのがかなり怪しくなるんだけど。ていうか、はっきり言ってこの結論はこじつけの域だと思う。美少女キャラが戦うなんてのは別に今に始まったことじゃないのだから。



それと、90年代前半のところで記述されている『ゼクセクス』('91)に関して「「そっち系のオタク」を意識した作品づくりをしていたのはほぼ間違いないだろう」とあるけれど、93年に出たゲーメスト増刊『ギャルズアイランド2』の開発者インタビューによると

コナミシューティングの硬派のイメージをくずそうと思ったのです。それでかわいい女の子も入れました。
ゲームマニアのみでなく一般の人にも受け入れてもらえるようにという意図もありました。

とのことなので、「そっち系のオタク」を意識した、というよりは「シューティングゲーム=難しそうで近寄りがたい」というイメージの払拭を意識したと見るのが妥当かと思う。もっとも、前年にコミカルさを前面に出した『パロディウスだ!』('90)が出ていることを思うと、このインタビューの言葉がどこまで本当なのかは何とも言い難いけれど、90年代前半というのは格闘ゲームベルトアクションゲーム、パズルゲームといったヒットジャンルが生まれた一方でシューティングゲームは難易度激化もあってどんどん隅に追いやられていった時代なので、まるっきりの方便というわけでもないとは言えるだろう。東亜プラン晩年の『BATSUGUN』('93)が初心者を意識した難易度に抑えつつ、主人公に女性キャラを採用したのもこの流れだろう。すでにアーケードにおける「硬派」は孤立しつつあったといったところだろうか。とは言え『雷電』('90)のロングヒットなんかもあるから、孤立していったのは正確に言えば「東亜プランとそれを支持するコアシューター」なのかもしれないけれど。




うーんと、本当はここから先に書いた「シューティングゲームというカテゴライズの持つ意味合いが現在のアーケード界隈と当時とでは違う」という観点から「シューター」というカテゴライズ、その自意識の変遷について考えたかったのだけれど、いかんせん寝てないので頭が回らない。なのでそれはまた気が向いたらいつの日か。あと、途中で『ゲーム天国』('95)にも触れるはずだったんだけど、絡め損ねた。「シューティングゲームに登場する美少女の極北」とも言うべきモモコボンバーの恐ろしさは一度その目で見ておくべきだろう。幸運なことにここの01/15の日記ここにモモコボンバー画像が載っている。必見。