あまりにひどいからツッコミ入れるよ

第二次惑星開発委員会 座談会 第17回 「新世紀エヴァンゲリオン」(前編)の中にあるDDRの注釈がひどいにもほどがあるからツッコミ入れるよ。

注101 ダンス・ダンス・レボリューション
 90年代末期に爆発的ヒットを飛ばした音ゲー。略してDDR。足元のパネルを踏むことで擬似的にダンスのステップを真似ることができる。ゲームとは名ばかりで、運動量は実際のダンスとそれほど変わらないので舐めてかかると大汗をかく。
 そもそもTVゲームには動体視力や手先の器用さという身体性が深くかかわってくる。そこがゲームセンターにたむろする不良たちの文化と親和性の高い部分だったのだが、家庭用ゲームの普及によってRPGやSLGが主流となりゲームにおける身体性は長らくないがしろにされてきた。DDRはそんな逆風の風潮を一発逆転的にくつがえし、ゲーム本来の体育会系のりを復権させた。
 しかし一方で、ただでさえゲームはオタク界隈でも影が薄いのに、<キモヲタなのにステップは軽やか>というさらに気持ちの悪い人種を増加させて、結果的にゲーム文化の蛸ツボ化に拍車をかけてしまった。
 コナミDDR以後、音ゲーをフィットネスに活用したスポーツジムの経営にも乗り出す。(犬山)

まず、

そもそもTVゲームには動体視力や手先の器用さという身体性が深くかかわってくる。

それってテレビゲーム全般じゃなくてアクションゲーム全般、シューティングゲーム全般に限った話だよね。まあこれは比較的些末な部分。
 
次。

そこがゲームセンターにたむろする不良たちの文化と親和性の高い部分だった

なるほど、不良と身体性というと繋がりがあるように聞こえるけど、不良がゲーセンにたまってたのは、ゲームに身体性が関わっていたからなの?じゃあ何で90年代以降はゲーセンよりカラオケボックスだったり繁華街の路上の方がたまり場として使われるようになったの?要は、長時間たまって仲間と遊ぶのに都合のいい場所だったってだけの話じゃないの?つうかよく考えたら、今でもメダルゲームにはヤンキー系っぽい客はけっこう多いけど、だとしたらやっぱり身体性関係ないし。メダルゲームに身体性ほとんどないから。
 
次。

家庭用ゲームの普及によってRPGやSLGが主流となりゲームにおける身体性は長らくないがしろにされてきた。DDRはそんな逆風の風潮を一発逆転的にくつがえし、ゲーム本来の体育会系のりを復権させた。

これが一番ひどい。惑星の記事から言葉を借りるならば唐沢俊一の注釈にある「歴史的経緯を勉強不足」としか言いようがない。家庭用ゲームの普及とアーケードゲームの文化は相互に影響はしていてもパラレルであって、アーケードはDDRの前だって主流はずっと身体性の伴ったゲームばかりです。
 
90年代初頭からの対戦格闘ブームは90年代後半にはピークを過ぎていたけど、それでも依然としてアーケードの中核を占めていたし、シューティングゲームだってかつての黄金期が過ぎても未だ健在で、96年にはバトルガレッガがヒットしていわゆる弾幕系シューティング」の土台を築き上げている。それに、DDRについて説明するのにビートマニアの存在も無視していてひどい。ビートマニアが大ヒットしたことで音ゲー文化が生まれ、その流れでDDRが出てきたということをわかっているのだろうか。
 
「ゲーム本来の体育会系のりを復権させた」という記述がデタラメなのはもちろん言わずもがな。既述の通り、アーケードでは身体性の伴うゲームがずっと主流で、特に対戦格闘の世界なんて体育会系のりもいいところ。つうか体育会系のりは別に「ゲーム本来の」ものなんかじゃないし。それはゲーム内の一部のジャンルに備わったものでしかありません。
 
次。

しかし一方で、ただでさえゲームはオタク界隈でも影が薄いのに、<キモヲタなのにステップは軽やか>というさらに気持ちの悪い人種を増加させて、結果的にゲーム文化の蛸ツボ化に拍車をかけてしまった。

まあ、ゲームは「オタク界隈」では影が薄かった。それは、当時のオタク論が岡田斗志夫影響下にあって、岡田オタク論ではゲームが守備範囲に入っていなかったから。つまり、岡田影響下のオタク論ではゲーム全般は語れないというだけの話でしかないんだけど。
 
それよりも「<キモヲタなのにステップは軽やか>というさらに気持ちの悪い人種を増加させて、結果的にゲーム文化の蛸ツボ化に拍車をかけてしまった。」これが意味不明。確かにDDR界ではそういう人種がいた。DDRブームの当時に新宿歌舞伎町の今は亡きチルコポルトに行けば、何台も並んだDDRの台の上にはPARANOIA MAXのマニアックモードをすさまじく速くて異常なステップでクリアするような連中がいた。だが、それと「ゲーム文化の蛸ツボ化」とやらには何の関係もない。一部に気持ちの悪いマニアがいようと、それとは無関係に幅広い客層、とくに少なからぬ女性客をDDRは引っ張ったし、そのブームが終わったのは単純に飽きられたのと、新バージョンをハイペースで出し続けて、しかもそれが一般客よりマニア向けな出来だったから。
 
というか、それはDDRブームの話でしかなくて、「ゲーム文化」とは全く別の話だ。「ゲーム文化」という意味で言うならば、DDR音ゲー文化の歴史に出てくる重要な作品の一つであり、音ゲー文化は今でもその道のマニアたちに支えられている。これは「音ゲー文化の蛸ツボ化」ではある。が、ゲーム文化全般についてこれをもって言えるわけがない。何をもって「ゲーム文化の蛸ツボ化」って言ってるんだろう。「オタク界全般」において話題にならないから勝手に言ってるだけにしか思えない。蛸ツボ化なんて言ったらどのジャンルも似たり寄ったりだと思いますけどね。ネットだと広く話題にのぼりやすいジャンルとそうでないジャンルで偏りがあるからわからないのかもね。
 
 
まあ、何というか、けっこう頭に来ました。ゲーム脳とかは「どうせハナから理解する気のない人たちのためのもの」としか思わないから特に頭に来ないけど、そうじゃないところでこういうひどい知ったかされると、ちょっとね。これ書いたの犬山さんらしいから、id:dogplanetにリファ飛ばしておきます。