2年前のログ転載

ところで、って何がところでなのかわからないが、世の中の人をイベント好きとそうでない人の2種類に分けるとすると、俺は断然後者だったりする。彼女がクリスマスを前に楽しそうにしているのを見て平然と「どーでもいーじゃん」とか言って機嫌を損ねてしまうような奴である。それでも思い返せばイベントを楽しんだ経験がないわけでもないから、もしかしたら単純に愛情があるかどうかの問題かもしれないが、まあ、基本的にはイベントはどうでもいいと思ってる。

で、その手のイベントにも色々あるわけなのだが、中でも誕生日なんてのはどうでもいいどころか、むしろ嫌だったりする。そもそも誕生日にいい思い出がない。
俺の主な誕生日の思い出と言えば、

・親とケンカして家出
・親とケンカして自殺するつもりで家出して結局北国放浪
・彼女も近い日に誕生日だけどもう別れる寸前で祝うこともなくただブルー

まあざっとこんな感じだったりする。他にも、予備校で親友と大ゲンカして絶交状態で予備校登校拒否とか、とにかくロクな思い出がない。
 
 
ていうか、年を取って純粋に嬉しいのなんて子供と年寄りだけだよな。それ以外の人にとっては年を取るなんてのはただ厭わしいことでしかないんじゃないか。特に女性なんて。若さそれ自体がもてはやされる今の世の中で誕生日を祝う以上にナンセンスなことがあろうか?いやない。
と言うのはさすがに大げさだし、単に反語調にしたかっただけなんだが、しかしまあ、これからの世の中、コペルニクス的転回をもって、誕生日は嘆き悲しむべき忌まわしき日として扱うのはどうだろう。

例えば、誕生日前後の三日間は喪に服してずっと家に閉じこもる。
この期間、ただひたすら誕生日の訪れを悲しむもよし、一年を振り返り嘆くもよし、とにかくポイントとしてはネガティブに、ネガティブに行くことだ。
そして友人関係者一同は誕生日を悲しむ電報を送る。もちろんドラえもん電報なんかで送るのはもってのほかだ。

どうだろうか。喜ぶべきとされるイベントを思い切って悲しむものとして扱う。これも悪くはないのではないか。誰が好き好んでわざわざイベントで哀しい思いをしたいかという感想もあるかもしれないが、逆に一年に一度だけこんなイベントがあることで普段の日々をいっそう楽しいものとして送れるかもしれない。ぜひご一考あれ。
 
 
まあ、そんなわけで今日は俺の誕生日だったりするわけだ。