革袋

むかしむかし、ある村に革袋を持った男がやってきました。男はその手に持った革袋を高くかかげるとみんなに向かってこういいます。
みんな、見るんだ!これは革袋だぞ!とても新しくてすごいんだぞ!」
けれど、みんなにはそれのどこがすごいのかさっぱりわかりません。みんながふだん使っていた麻袋とほとんど変わりないように見えるからです。どこがすごいのかと男に聞いても
「俺の住んでる都会の町じゃおおはやりですごいんだ!」
と自慢げにくりかえすものですから、みんなあきれて男のいうことを相手にしなくなって、やがて、みんなにそっぽを向かれた男は
「お前らみたいな閉鎖的な田舎もんにはわからないだろうな!」
と捨てぜりふを吐いて町へとかえっていってしまいました。
 
それからしばらくたつと、男が捨てていった革袋を使い出す物好きなひとが増えはじめました。麻袋とそんなに変わりはないのですが、使ってみるとたしかに便利です。そのうちに、麻袋は使えなかったひとたちまでがわれもわれもと革袋を使いはじめるようになり、みんなそれぞれに革袋の中に自分の好きなものを入れては見せびらかして歩き回りました。
ところが、みんなみんな革袋を持ち歩くようになると今度はあちこちでケンカが起こりはじめました。今まで使い慣れていなかったから、じょうずに使いこなせないのです。
そこで、それを見ていた人たちが「革袋のじょうずな使い方」を革袋に入れてみんなに見せて回りはじめました。これにはみんなおおよろこび。今度はわれもわれもと「こんな使い方はよくない」「こんな使い方もできる」といいだし、みんなの革袋の中には「革袋の使い方」ばかりが入るようになりました。
けれど、革袋を使わない人にとって、革袋の使い方なんてちっともおもしろくもありやしません。たのしいのは革袋を持ち歩くひとたちばかりです。なので、あるひとは「革袋の使い方ばかり見せあってもつまらないよ」といいましたが、聞く耳を持ってもらえませんでした。なぜかというと、「革袋の使い方」ばかり見せびらかしてる人たちは、革袋を使うことそのものがたのしくてしょうがないのです。かれらは、革袋が何かを持ち運ぶための道具だということも忘れて、中身なんてなくてもとにかく革袋を使うことにむちゅうになっていました。
そうしてときがたち、革袋を使えればたのしい一部のひとたちをのぞいて、みんな革袋に飽きていってしまいました。ごくわずかにおもしろい中身を持ち歩いていたひとたちもやがて疲れて、すこしずつ減っていってしまいました。
もういまではほとんどの人が革袋に見向きもしません。わずかに革袋を持ち歩いているひとたちの中身はというと、あいかわらず「革袋の使い方」でした。
 
それから数年後、新しい革袋が生まれて、もう革袋のことなんて忘れていたひとたちも、新しい革袋を使うようになりました。
「新しい革袋ができたんだってね。中に入れるのはやっぱり新しいぶどう酒かい?」
「何いってるんだよ。新しい革袋に入れるのは、『新しい革袋の使い方』に決まってるじゃないか」
 
めでたし、めでたし。