ユリイカ増刊オタクvsサブカル感想

まとまった感想を書くと言ってからすでに一ヶ月近くたっていた。
この本をもう3度くらい読み返しているんだけど、そのたびに頭に浮かぶのは懐古ではなく未来のことばかりで、それはきっとこの本のつくりが、ある価値観を強く打ち出して絶対化・権威化させたりするものでもないし、現在から切り離した過去を歴史化するような形になっていないからなんだろうと思う。その意味で、この本はとても良心的ないい本だと俺は断言する。「正しいオタク/サブカル概念」みたいなものを求めていた人には不満だったりするのかなと他の人の感想なんかを読んだりして思ったけど、たぶんそんな人たちもこの本を10年後に読み返したら、実はここにそれがちゃんと示されていたことに気づくと思う。
何でそう思うかというと、雑誌のタイトルの「オタクvsサブカル」というのは単なるフックでしかなく、実際に語られていることの多くは各人の目を通したここ十数年のオタク文化サブカル文化の姿や歴史認識なんだけど、それはかっちりとした概念なんかじゃなく、少しずつ時間とともに変容して境界線がどんどん溶けていくようなものだったことが語りから浮かび上がっていて、その概念のあいまいさこそがこの十数年のオタクとサブカルの実体だったことがわかるはずだからだ。
そして、その意味ではこれは確かに最終戦争と言える。なぜならもはやこの先「オタクvsサブカル」という戦争が起こりようもないのだから。もしこの先になっても言ってる人がいたら、「もうその戦争は終わったんだよ。いや、そもそもなかったんだよ」と言って非モテゲリラ戦線へと誘ってあげるのがいいと思う、ってのは半分冗談。
それにしても、この先の未来のサブカルチャー全般の形のことを考えると、俺個人はそれがどうなるか、未知への期待で楽しくなるのだけど、もしかしたらもっと若い世代の人にとってはむしろつらいのかなという気もする。それは前島さんの記事からも感じ取れる。岸野さんのインタビューのラストでこの先は直感や判断力が試されるようになってくるだろうと示唆されていたり、加野瀬さんとばるぼらさんの対談のラストで歴史認識がないほうが新しいものを生み出せる時代だろうと示唆されていたり、どちらも同感なんだけど、でも、歴史認識に頼らずに直感や判断力が試される時代ってのは、つまりはその人の感性そのものが試される時代ってことでもある。それってとてもタフなことだ。特に、まだアイデンティティも確立できていなくて自分に自信がなく、自分を正当化できる「正しいもの」「安心なもの」をつい求めてしまいがちな若い人にとってはしんどいことだ。しかも趣味による差別化という行為そのものが無効になりつつある。たぶん、しばらくの間はますます細分化が進んで、その一方では大きすぎるくくりでの希薄で最大公約数的な寄らば大樹の陰的に機能するんだろうけど、下手したらみんな大樹の陰に逃げ込んじゃったりしてね。
でもそれではどんづまりになるし、必ず飽き足らない人が出てくるから、そのときこそ新しい価値観が生まれるのかもしれないし、ひょっとしたらそれはまだ気づかれていないだけでもう生まれているのかもしれない。そう思うとやっぱり俺はこの先が楽しみになったりするのでした。さ、頭からっぽにしてエウレカセブン見よっと。