コスト

なんかこの前も似たようなことを自分の確認のためにうだうだと書いていた気がするけど、結局金も時間も有限なコストであって、それをどう活用するかは自分の価値観による優先順位付けで決まるものであって、なんか久しぶりにこのダイアリー開いてみたらまたもリファラが張られていたこの記事なんかも、言ってみれば対話に要するコストとそれに見合ったリターンとの兼ね合いの話でもあるから、やっぱりいかにコストを有効に活用するかというのは大事なことだよなあと思ったのだけど、今だからさらっと言うと現在の仕事に就く前は1年の間まるっと無職生活していたし、さらにその数年前にもネトゲ廃人やって1年無職やってたりするから、そんな俺がコストどうこう言うなら最初からちゃんとコスト有効に使ってろよ、無駄に土地タップだけしてもお前マナバーンだけでライフなくなるぞって話なんだが、しかし、人には無為の時間に見えて、また、本人にとっても無為でしかない時間であっても、その経験は決して無駄ではなかったりするし(経歴には無駄ができる、というか余白ができるが)、意外とそうした時間に一人でもぞもぞと考えを重ねることが自分の中に堆積して後々の力になり得るから、結局なるようになるのかなという気もして、とは言え俺の場合は手前味噌だが、そうした堆積を生かせる場に再び就ける自信というかある程度の根拠も持ち合わせていた上でのことだったので、こういうのってどこまで言っても「俺は結果的にこうだった。そして今こうだ」という結果論にしかならないよなと思うんだが、ここまで読まされてしまった気の毒な人は「だから何が言いたいんだ」と思いそうだし、実際俺も今書いていてそもそも何が言いたかったのか忘れかけていて、無理やり思い出すと、ちょっと前にはてブですさまじいリンクがついていた電通陰謀論のひっどい記事とそのブクマを先日仕事の合間につらつらと眺めて、どうしようもなく絶望的な気分(電通なんかよりもソクラテスが知ったアレの方がよっぽど恐ろしいなあという意味で)になって、今日も仕事帰りにゲーセンで病み上がりの頭でぼーっと遊んでたときにまた思い出して嫌な気分になったら画面から「レコちゃーん!」とかいう声が聞こえて、あの記事とそれを素直に受け入れてしまう人々を嫌悪し蔑むならちゃんと自分が知っているある程度のことを淡々と事実として書いておかないと加野瀬さんに「ネットは洗脳合戦なんですよ!」とたしなめられてしまうなあとか思って、でもさ、自分は多少内部にいたことあるから常識として知っているけど、そうじゃない人たちから見たら魔境であるところの説明って上手に伝えようとするとものすごくエネルギーもいるしモチベーションもいるし、まあコストがかかるわけで、じゃあそれやる気ないならどんなに気分悪くなっても黙っているしかないかな、自分自身のプライドのためには、と考えて、でもそれだと心の中のもやもやがいつまでたっても(すでに5日くらい抱えている)晴れないから、もう直接触れはせずに何となく気分だけでも書き留めておこうかなと思ってこれを書き始めていたんだったが、結局触れてもうた。


えーとなんだっけ。もう寝るから、陰謀論よりも本当のことを知りたい人、自分の価値観だけでの断罪よりもまずは事実や現実に回っている仕組みを知りたい人とかは、まずは"パブリシティ"で検索してみるとか、あるいはこのブログとそのリンク先のサイトをじっくり読むだけでも参考になっていいんじゃないかと思いました。さすがに自分で一から、パブリシティとは〜、とか、現実にはこんな感じにビジネスが成立してこんな感じにお金が回って〜とか書き下ろすのはダルい。まあ、なんだ、どこからどう見ても広告依存モデルのビジネスとして成立しているはてなサービス上で広告フォビアな騒ぎ方できるのはすごいなというか、だったらみんなもっと広告に依存させないサービスが増える世の中にするために対価を支払うことの大事さを考えようとか思わないのかなとか、そもそもあれ電通全く関係ない内容だよなPR代理店全般の話でしかないよなとか、新聞社勤めしてたらさんざっぱらニュースリリースが毎日代理店からFAXされて中には直接やり取りする人もいてパブリシティ普通にやってることくらい知ってそうなもんだけどなとか、でも新聞社の人間ってマスコミの中でも一番横柄だってのは定説だったなとか、大体報道を盾に記事チェック入れさせずに恣意的に書き放題なマスコミも新聞だけだしなとか、あいつらのビジネスモデルは勧誘商法なわけだしなとか、それにしても記事の結びで「「電通」は事実などには無頓着なのです。」とか書くのって、分裂勘違い君なら次の記事でひっくり返すための意図的なちゃぶ台だろうけどこの人は恐ろしいことにそうじゃなく事実を書いてるつもりなんだろなとか、まあ書き出すとほんと止まらなくなってしまうけど、あれだよ、ネットでマスコミの悪い手法を取り入れたアジテーションやると、局地的によりひどい形で排他的、攻撃的な悪感情が共感しあって反響しあってさらにひどくなるだけでそして終わったらすっからかんになるだけでほんと俺が(ほんの少しだけ)期待していたネットというツールの可能性とは真逆だなと思った。カウンターではなくオルタナティブに、大声をあげようとするのではなく、手の届く人にだけふとしたきっかけでそっと届く、そしてそれが無数の場所に点在している、そんな空間の方がいいと思うんだけどね。多様性って言葉はすでに口に出すのも恥ずかしいはずだけどきっと根付くのは半世紀以上先だよ。気付いたらもう4時なので寝る。


ここまで読んだ人はほんとお疲れ様でした。読み終えたそのコストがささやかなリターンをいつかこっそりと生み出さんことを。