ゲーム脳な頭で考えてみた

上の話の続きで、スピッツの話はおいといて、Beltorchiccaの記事の、女子はカテゴライズされたりラベリングされたりするのを嫌うって話だけど、でも男も嫌うよなーとか、占いとかであえてお遊びとしてカテゴライズされて「当たってるー」「当たってないー」みたいに楽しむ分には女子も嫌わないよなーとか思ったりして、結局嫌われるラベリングの何が一番マズいって、お前はこんなもんだろ的に見下してるようなところなんだろうなあ。特に支配したがる男は相手を自分の理解内に閉じこめておきたがるし。だから俗流社会学の本に女子はカテゴライズやラベリングされるのを嫌うと書いたところでそういう人たちは「あれでしょ、カテゴライズされたりするの嫌な人でしょ」とか言って同じことになる気がする。

で、ラベリング一般の話に広げてみると、嫌だと言っても多かれ少なかれ人は何らかの形でラベリングされてしまうものだし、逆に自分が人や周りを見るときも、それが仮のものや便宜的なものであれ、何らかのラベリングをして一時的に判断している。生きていく上でって言うと大げさだけど、ラベリングしたりされたりは避けられないと思う。

そう言えば俺の世代は「ゲーム世代」だったり「ファミコン世代」だったりと呼ばれたりして、まあ今もゲーム脳なんて言葉があるけど、昔からゲームというくくりで悪く言われたりしてた。で、友達との間で流行っていたのが、絶対それ無理あるだろってことを力説したあとに「出た!現実と想像の区別がつかないゲーム世代!」というフレーズを言う冗談だった。別に自虐のニュアンスではなく、与えられたラベリングに乗っかって遊ぶようなはしゃぎかた。カテゴライズとかラベリングされてマジギレするよりはそっちの方が絶対精神衛生上いいと思うから、無視することができずに怒るくらいならみんなどんどんゲーム脳とか名乗っちゃえばいいんだよと思う。