kir_royal氏への返信2

遅くなってしまったけど
http://d.hatena.ne.jp/number29/20061014#1160781807
の続きをさっくりと。

ん〜「カテゴリー」=権威ってのは、ちと極論ではないでしょうか?

コメントでも同様の指摘をもらいましたが、まあ、一般論としたら極論になりますな。ただ、kir_royal氏の一連の記事からは、知識欲や好奇心からのカテゴリー整理ではなく、曖昧な立ち位置に苛立って、安心できる指標を求めているように映ったのでそう指摘しました。まあ、この辺はオタク話というよりアイデンティティ話になりそうなのであまり深く突っ込む気はないです。本音を問いただしても詮無きことですから。


いや、純粋に知識的な欲求からより正確な情報整理をしたいと思うなら素晴らしいと思うんですけどね。まさに現在形のオタクエンサイクロペディアとでも呼べるくらいにちゃんと微に入り細に入り整理された仕事ができる人がいたら尊敬するし、書籍でまとまった形で出たら5000円くらいでも間違いなく買いますね。1万円でも惜しくないかもしれない。ただ、ネットで散見する断片的なものだと、正直「ひでーなーこれ」と思うものの方が大半で、たいていは自分の思い入れでもって自分にとって望ましい形に歴史化させているだけの代物だったりしますからね。私記という形を取らずにパブリックな形を装って自分の思い入れを歴史化させようとする欲望に対してはただ嫌悪感しかありません。wikipediaなんかもそうした欲望の集積地という側面があって、事実情報とは別の評価的な部分はけっこうひどかったりします。もちろんそれも一つの情報ではあるので、そこを差し引いて読めればいいのだけれど。まあこの辺は少し話がそれたかな。

確かに受け入れるも一つですが、そればかりってのもどうでしょうか?こっちから発言したり提言しちゃいけないのですか?私は内や外から様々な意見が出て、それによって様々な物の見方が整備されていくのは別に良い事だと思いますが・・・

不当な評価のカテゴリーをされたのならば、意見を出して議論をして修正していけば良いのですから。

私はこれでもいちよ史学科の人間なので歴史に対しては尊重はすれど、無秩序に受け入れるつもりはありません。それが妥当だと思えば受け入れますし、違うと思えば噛み付きます。

「温故知新」というように、過去のことでも評価されるべき事は評価しても良いのではないのでしょうか?評価する側が若者でも。

この辺の立派な発言を読んで思うのは、ならば、大づかみな抽象論を延々と繰り広げるよりも、自身の価値基準をクリアにして具体的に体系立てて評価を行っていけばいいんじゃないの?という印象ですね。というか俺がそういう物を読みたい。まあ、読んだ上で「おお、面白い視点だな」と思うか「ああ、こりゃつまらんわ」と思うかはわからないですが。年を取った大人の嫌な視点で言ってしまうと、具体性が薄くて壮大かつ崇高な理想をぶち上げて高らかに吠えるのはとても気持ちが良くて、しばしば若い年頃の人間はそこにはまってしまうものですが、しかし、そこに実体が伴わないようでは何の価値もないです。それは単にそうした理想論を消費して慰撫しているだけに過ぎないのです。なので、それだけ立派な志を持っているのならば、過去の文献を読みあさるなりして調べて実体の伴った論を立てればいいんじゃないでしょうか。あくまで個人的にはサブカルチャーというのは絶え間ない消費の中で市場の淘汰をくぐり抜けて自ずと生み出されていくものであって個々の評価もまたそうした消費の一つでしかなく、神の見えざる手によって作られている物を後追いで「文化」という形で評価することしかできないものだと思っていますが、しかし、個人の強い思いこみによって大きな声で打ち上げられた主張がまた一つの新しい潮流を生み出すこともあるわけで。


あ、それと最後にもう一つ。
http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20061016/p1
の記事を読んでも思ったんですが、やっぱり、kir_royal氏は過去の中から自分にとっての「いい部分」ばかりを見ている感じがしますね。

今の消費する事ばかりが強くなっている現状のオタク界隈

と言いますが、今も昔も消費あってのものであって、「昔のオタクは今と違って消費ばかりせず議論をよくしていた」的なのは半分嘘、嘘という言葉が悪ければ誇張だと思いますよ。もちろんそういう議論をする人たちやコミュニティもあっただろうけど、それはごく一部であって、大半はあくまでも自分の楽しみたいものを楽しんでいたに過ぎなかったというのが真実でしょう。まあその辺も、過去のオタク関連の専門誌なんかを図書館や古本屋で入手して色々読んでみると面白いんじゃないかとは思います。

俺から見た「サブカル」の現状

kir_royal氏への返信を書いていたときにふと「サブカル」のことを考えたので現状での「サブカル」について備忘録を残しておくと、90年代以降における「サブカル」文化とは、80年代のサブカルチャーのうち「かっこいい」「オシャレ」という側面を持ち合わせていた文化からその上澄みの部分を持ち出してわかりやすくパッケージングすることで「かっこつける」道具として機能した商業文化だと俺は捉えているのだけれど、結局のところここでの「かっこいい」や「オシャレ」というのが、安心保証つきとも言える、一種の権威を帯びたものだったために、それが見透かされた時点でその「かっこつける」態度が「かっこ悪い」となってしまい、さらに、元々の80年代のサブカルチャーが持ち得ていた「かっこいい」の源泉となるパワーは伝達されていなかったので、そこから新しいものは生み出されず、新しいものを見出すこともできず衰退していったのだろうなと考えています。ネットの掲示板やコミュニティで「サブカル」の冠のついたところを読むと、たいていが情報古いままだし、紙媒体でも今や力のある「サブカル」と言えるものってないしね。


とは言え、「かっこいい」が動機となって未知のコンテンツに出会うという回路があれば、それはそれでマイナーなあれやこれやがスポットを浴びる機会が増えるから、そういう回路自体は失われないで欲しいんだけどね。そういう意味では新しい革袋が必要なんだろうなあ。例えば…ハイエンd…もごもご。