フリースタイルvol.2


 
今日買った。メイン記事の座談会がめちゃくちゃ面白かった。「私たちの少女漫画」というタイトルの座談会で、やまだないとよしながふみ福田里香の3人が自分たちの読んできた経験を通して少女漫画の過去から現在を語っているんだけど、女性が自分たちの読み方で少女漫画を語るというのは至極まっとうなはずなのに、あまり目にする機会がないので*1、とても貴重だと思う。特に、最近だと男性的な読みでハチクロとか評論しちゃうような人をよく見かけるけど、そういう人はこれ読んで軽く打ちのめされるといいんじゃないかと思ったり。まあ打ちのめされるかどうかはわからないけど。引用したくなるような面白いところはいっぱいあるんだけど、そのうちのいくつかを引用すると。

やまだ 男の人って大島弓子、分かりたがるよね。
よしなが 学者の先生とか好きですよね。なんでだろう。
やまだ 『メゾン・ド・ヒミコ』(2005秋公開。犬童一心監督による大島弓子の「つるばらつるばら」の映画化企画から展開した、オリジナル作品。ゲイの父親に捨てられた少女が、彼の恋人に招かれ、死を間近にした父のもとへ。そこはゲイの老人ホームだった)を見たのよ、このあいだ。オダギリ・ジョーがかわいいのよ。もう少女漫画みたいなの。だから少女漫画として見れば見られるんだけど、だけど、なんか恥ずかしいのね。私たちがゲイの人たちに、私、ゲイの気持ちが理解できるって少女漫画の感覚で言っちゃうみたいな居心地の悪さ、恥ずかしさを感じるのね、男の人が大島弓子を解き明かそうとするのを見てると。そりゃ無理だよ、女の子に生まれなかったんだからあきらめな、って思うんだけど。
福田 男の監督なのに少女漫画のゲイを描いているところに温度差がある気がする。
(中略)
やまだ だって男の人が大島弓子解き明かそうとするとさ、必ず『バナナブレッドのプディング』でしょ。それでセックスがどうのこうのって言い出すじゃん(笑)。

これ読んで打ちのめされそうな男性がいっぱい頭に浮かびます。でもなんでほんとに必ず『バナナブレッドのプディング』なんだろ。大島弓子には特に思い入れがないから分からないなあ。
 

よしなが 福田さんによるとオタク憎み世代だって言うんですよね、岡崎京子さんの世代の人たちは。
福田 私は岡崎さんと同学年。岡崎さんはあれだけいろんな女の子を描いているんだけど、オタクの子はつねにブスで、デブで、性格も最悪。ステレオタイプなんですよ。岡崎さんはすごく憎んでるの、オタク・フォビアみたいなかんじで。そういうインタビューも残しているんですよ。でも、それが羽海野さんになってくると全部並列なんですよ。おしゃれなこともオタクも。たとえば、羽海野さんは羽海野さんの漫画でほかの人に同人的なことをやられても、意外と兵器。よしながさんもそうだよね。これってちょっと上の世代にはいない。
よしなが 羽海野さんはインタビューでもおっしゃってましたもんね、かわいい雑貨もオタクっぽいものもおなじようにいいものとして出したいって。
福田 当時、浅田彰に、コミケみたいな世界があるから、岡崎京子さんは出るべきだって勧められたけど、かっこわるいところにいる自分を想像してやめた、みたいに書いてあるのね(笑)
(中略)
やまだ 岡崎さんってオタクを憎んでるっていうか、オタクをかっこわるいものだと思ってたかもしれないけど、意図したかどうかは別にして、岡崎さんはかっこいいオタクだったよ。もしかしたらオタクっていう言葉は違うかもしれないけど、小沢健二にしたって、スチャダラにしたって、あれはかっこいいオタクじゃない?岡崎さんたちの作品で、オタク的なことがかっこいいことになっていた気がするの。

オタクvsサブカル的な話題。やっぱり、カッコイイ/悪いというベクトルで対立した内ゲバだったんだなあとしみじみ思った。
 

よしなが 紡木さんのファッションが中学校のとき衝撃だった。私たちのころ、体育着の袖をすこし巻くのとか、わざとジャージの袖もラインがすぼまるように折りたたんでまくりあげるのがおしゃれだったんですよ。あの人、もう大人のはずなのに、そのとおりに描いてあるのよ、『ホットロード』とかで。
やまだ 大人ったって、大学生くらいだよ。
よしなが 考えてみれば、紡木さんはあのときたぶん十代か二十歳そこそこだったんだよね。でも、「むかつく」って言葉をはじめて漫画のなかで見たのが『ホットロード』だったんですよ。そのときもすごい衝撃で、「そう、私たちこれ使うの!」って思って、なんで知ってんのこの人、ってびっくりした。
福田 同世代感、というか同時代感が強かったんだね。
よしなが 見透かされていた。しかも和希ちゃんっていう主人公の女の子にみんな憧れるの、ヤンキーなんだけど。そのときの褒め言葉が「きれい」じゃないんですよ、「いいなあ、やせてて」って言うの。あれも、ものすごいリアリティで、「そうなのよ」って思った。

細部から受け取る同時代感リアリティの話。こういうのは男にはどうしてもわからないから、なるほどなあと素直に面白く思った。
 
他にも色々面白い話があったので、少女漫画好きな人は読んでみるといいと思います。

*1:まあ荷宮和子とかいることはいるけど、あれはまたバランス感覚という点で疑問だし。

トウキョウだけど山の手でも下町でもなくてでも23区内で交通の便はいいけど地域イメージ的には微妙なところに住み続けて30年になる俺も来たよ

http://fragments.g.hatena.ne.jp/laiso/20050925#1127648169
で玲草せんせいから宿題が出ていたので、俺もとりあえず考えてみる。

東京や首都圏を舞台としているのにどこか郊外的な香りが漂ってくる話という感じですか。上の例だと、単に年代が古いだけじゃないのかみたいな話になるからなにか思い浮かばないかなぁ。

らへんな話だよね。
 
うーん、パッと思い浮かんだのは、吉野朔実の昔の作品とか、「ぶ〜け」全般がどちらかというと都会寄りだけど庶民的な環境だった気がしないでもないけど、でもこれも年代の問題で片づけられてしまうかもしれない。てゆか、東京一つ取ってみてもこの20年で実に様変わりしているしね。まあ東京に限ったことじゃないけど、コンビニ、ファミレス、ファーストフードが生活に根付いて、携帯を持つのが当たり前になって、ワンルームマンションは違和感なくどこにでも立ち並ぶようになって。
 
例えば俺が住んでいるところは中野のけっこう真ん中らへんだけど、俺がまだ小学生だった20年かそこら前のころにはまだまだ土地も未整備で、アスファルトが舗装されてない土がむき出しの路地はあったし、土管はなくても空き地はあってそこに勝手に入って遊んだり、サイバラのマンガに出てきそうな怪しいおっさんがあばら屋みたいなところに住んでいて「あそこには近寄っちゃいけません!」って言われたり(でも恐る恐る遊びに行って、何か食べさせてもらったりした)。
 
んで、俺自身はそういう自分の育った環境に「東京だけど郊外的な香り」を感じるんだけど、これはあくまでも俺が抱くイメージであって、年代が変わればやっぱりイメージも変わるのかなあと思うと、ちょっといちがいにはわからなくなるってのが正直なところかな。
  
ちなみに俺の抱くこうした風景とわりとシンクロ率高い最近のマンガだと、イブニングで連載してたS60チルドレンがそうだなあ。ていうかこれは年代が俺とまるっきり一緒だし。

S60チルドレン 1 (イブニングKC)

S60チルドレン 1 (イブニングKC)

あと、話ずれるけど、中野ブロードウェイが想像よりもしょっぱいってのは正しいレビューだと思った。そしてその微妙さかげんこそが中野という土地の良さだと俺は思ってる。いい意味で垢抜けない、洗練されきらない良さというか。