あるいは深読みかもしれないが

はてなブックマーク経由で
圏外からのひとこと(2005-09-12)差別が生まれる瞬間
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050912#p05
を読んで、俺はブックマークのコメントに

essaさんが予断と被害妄想と怠慢から逆差別してるようにしか読めない。

と書いた。なぜそう読めたかというのは、例えば

その瞬間、一瞬だけ、職業的な微笑と滑らかな口調に断絶があって、「何なんだこの変な中年男」という、軽蔑と不安と怒りと困惑がいり混った表情を、ほんの一瞬だけ浮かべたのだ。

この店員から私を見ると、私は、何の理由もなく先着の客より自分を先に処理しろと高圧的に迫ってくる、不機嫌で扱いにくい客だったのだ。そこで彼女は、自分を閉じて職業的な義務だけを果たそうとした。その説明を聞き返されて(それは音声と内容としては明解な説明で、普通であれば聞き返すことがあり得ない簡単な内容だったから)、彼女もブチ切れて一瞬だけ我を失ったのだと思う。

おそらく、彼女は「中年男って滅茶苦茶勝手で嫌な感じ。もうあんなの死んで欲しい」くらいに思っていただろう。しかし、中年男がセクハラオヤジだったり自分勝手だったりする経験なら話は簡単だけど、今回のようにそこに不条理さが加わると、その怒りはうまく「中年男」というカテゴリーとは結びつかない。

おそらく彼女は、全身全霊で「この変な男は何ジン?」と、私の不条理な行動を、自分の世界の外にあるカテゴリーと結びつける道筋を探していたのだと思う。でも、「中年男」以外にそういう適切なカテゴリーは発見できなかったようだ。

という記述があまりにも主観と予断に満ちた決め付けに感じられたからだ。だってそうだろう、一瞬の表情だけでそこまで人の心が読み取れるわけがない。これはあくまでも「そう感じた」だけであって、実際のところは本人しか(いやあるいは本人にすら)わからないはずだ。接客係と客という関係での儀礼的なやり取りだけでここまでの推測をするというのはさすがに予断が過ぎるし、勘違いから不快にさせてしまったという罪悪感から生じた被害妄想としか読めなかった。
また、

しかし、それは一瞬のことで、すぐに職業的な微笑が復活し説明はあっという間に終わり、私は謝罪する機会もなく、カウンターを後にした。

私は全身で彼女の悪意を浴びて、それから数日嫌な気分だった。もちろんこちらの一方的な思いこみで自業自得である。彼女の行動と感情は、何の曇りもなく当然の反応だ。ただ、謝罪と説明の機会がなくて、不条理さがそのまま転換した悪意の対象とされたことに、自分の気分は納得できない。

そして、それについては後で気がついても謝罪したり説明したりする機会は与えられず、ただ悪意と差別だけが残る。

というのもおかしな話だ。目の前に相手がいて、会話をしているのだ。謝罪の機会など、一言「あの…」とでも言って作ればいいだけのはずだ。にもかかわらず「機会は与えられず」と言うのは、自分の怠慢を棚に上げた責任転嫁ではないだろうかと考えた。ただ、この点については
「差別が生まれる瞬間」についての補足
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050913#p05
を読んで、いくらか疑問が解消した。しかし、先に挙げた予断と思われる点については依然として腑に落ちなかった。確かにその場ではダブルメッセージへの怯えから悪意を過剰に受け取ってしまうかもしれないが、ある程度冷静になってウェブに書き連ねる段階になれば、もう少し落ち着いてフラットに考えられるだろうと思うからだ。少なくとも「中年男」などというカテゴライズをしているのは相手ではなく、相手のそれに投影した自分自身の視線であることに気づいていいはずだ。
 
一方的に責めるような内容になってしまっているが、正直に言えば、自分自身が同じように、勘違いとコミュニケーション不足から生じた誤解で相手が自分に悪意を持っていると決めてかかってしまい、悪化した(と一方的に思いこんでいた)関係を取り繕うとして余計に空回りして、「俺はこんなに気を遣っているのにそんなに憎いか」とまで思いこんでしまうことがそう遠くない過去にあった。しかも職場という継続的な関係が続く場所で。
しかし、実のところ相手はこちらに悪意など全く持っていなかった。ただ単にぶっきらぼうなだけの人で、ふとした会話(それは、関係を修復しようという意図すらなかった)から打ち解け、いかに自分が誤解からその人の中に悪意を見出し、そしてその悪意に耐えるという思いこみの形でその人に対して不必要な悪意を持ってしまっていたことを思い知り、心から情けないと思った。
そんな経験もあってか、今回のessaさんの記事には、予断が過ぎるのではないかと思わずにはいられないのだ。
 
 
さて。
これは深読み、いやそれを通り越して妄想の類なのかもしれないが、俺はessaさんの記事を何度も読み返していてこんなことを思った。実は、この記事は「私」という虚構に語らせたフィクションであり、寓話のようなものではないかという想像だ。
「私」は日本であり、「店員」は韓国、「勘違い」は侵略行為に置き換える。
するとどうだろう、「私」が「彼女」から感じ取る悪意や差別、感情的な怨念はそっくりそのまま、少なからぬ日本人が韓国人に対して感じている思いに当てはまるのではなかろうか。また、過去の侵略行為について罪悪感は感じているが、謝罪の気持ちがいつまでたっても伝わらず、嫌な気分だけが残っているというのも当てはまる。さらに付け加えれば、こちらの謝罪は伝わらず、なおも相手の感情的な怨念は続いていることで、こちらも相手に対して納得行かない思いがつのり、それが悪意へと変わろうとしている姿までもが一致する。もしもessaさんがこのような隠喩めいた内容を意図して書いていたとするならば、恐れ入りますとしか言いようがないのだけれど、さすがに深読みが過ぎるだろうか。

武蔵坊弁慶

今年の大河ドラマ義経なわけだが、みなさんも日曜の夜はテレビの前でNHKを見ているのでしょうか。俺は見てません。
さて、義経に欠かせないお伴と言えば言わずと知れた武蔵坊弁慶。彼が義経に敗れるまでの間、道行く人を倒してはその武器を奪い取っていたという有名なエピソードがある。では、その奪い取っていた武器とは何だったのであろうか。
先日古本屋で入手した書籍「武蔵坊弁慶 驚愕の蒐集欲」に書いてあったその内容には、正直言って驚きを隠せなかった。ここにその一端を紹介する。
 

武器ファイルNo.14 円匙

円匙とはいわゆるシャベルのことである。当時、夜盗が円匙を使って落とし穴を作り、そこに人を落としては金品を略奪する行為が横行していた。弁慶もある夜にこの落とし穴にはまりそうになったものの、その巨大な体躯が幸いして穴に入りきらず夜盗を返り討ちにし、その際に夜盗の円匙を手に入れたとのことである。
 

武器ファイルNo.85 箪笥

ここで言う箪笥はもちろん現代にも伝わっているあの箪笥のことだ。箪笥の角に小指をぶつけるとどうしようもない痛みを覚えることは誰もが知っていることであるが、平安の昔からこの痛みは知られており、当時すでに無敵の存在として名を轟かせていた弁慶もさすがにこの痛みにはかなうまいと、弁慶の命を狙った刺客が夜道に箪笥を置いて、卑怯にも罠にかけようとした。しかし、知っての通り弁慶の泣きどころは脛であって、小指ではなかった。刺客は破れ、罠に仕掛けた高級桐箪笥、しかも一つだけ思ったらもう一個は、まとめて弁慶の物となってしまった。
 

武器ファイルNo.394 女装セット

平安時代と言えば百人一首からも知られる通り、恋多き時代である。武の道に生きる弁慶も女には弱いに違いないと踏んだある輩が、その身を女性へと変え弁慶に近づき、命を取る隙を狙ったという。しかしながら、この策略は失敗に終わった。それと言うのも、弁慶はこの輩と部屋で二人きりになった途端に「せ、拙僧、一度、あ、あれがやりたかったんだな。ほら、ぐるぐるぐるーってやつ」と言うなり帯に手をかけ、瞬く間に引っ張ってその衣装を剥ぎ取ってしまったからだと言う。お代官様ごっこも時には身を助けることを示した素晴らしい逸話ではなかろうか。なお、このセットには白粉とお歯黒がついているが、金のかんざしは別扱いとなっている。(武器ファイルNo.422参照)
 

武器ファイルNo.532 怪文書

もはや弁慶の名声はとどまるところを知らず、京の町では誰もが称えてその名を呼んでいた。それに目を付けた刺客の一人は、弁慶倒さんとするならばまずはその名からとばかりにありとあらゆる誹謗中傷を書き連ねた怪文書を作り、夜な夜な町中にばらまいた。一時はこれが功を奏して弁慶は宿も見つからぬ有様となってしまったが、苦心の思いで身の潔白を示す短歌を書き上げるとこれが人々の心を打ち、見事その身の潔白は示されたという。残念なことにその歌は現在では散逸してしまっている。
 

武器ファイルNo.657 ささやき戦術

正面からでは弁慶のその勇猛にかなわぬと、智謀に長けた一人の男が駆使した武器。刀を交えた一瞬の隙にその耳元で色々とあらぬことをささやいては弁慶を動揺させ、これにはさしもの弁慶も苦戦を強いられたという。しかしながらあと一歩というところで及ばず、男は無念にも敗れてしまった。最期の一言は「俺は…月見草…口数多いけど…」だったそうだ。
 
 
この他にも、濡れ手拭い、そろばん、似顔絵、嘘泣き、音痴、連鎖販売取引等々の興味深い武器が掲載されていたが、きりがないのでこのくらいにしておく。気になった人は古本屋で探してみるといいかもしれない。出版社はもちろん民明書房だ。