かつて常勝西武を応援していた俺が落合采配騒ぎを見て思ったこと

日本シリーズ終戦の落合采配が話題になっているようだが一言言いたい。とりあえず、落合擁護する奴らはまず全員、大沢に「つまらないからバントばかりするな」と非難された森西武を擁護してもらおうか。いや、それは冗談だけど。以下、野球についてやたらと長い思い出話を取りとめもなく書き散らす。




俺は小さい頃から西武ファンだった。親父が元々パリーグ好きだったこともあって(小さい頃は駒沢によく観に行っていたらしい)、よく西武球場まで親子で観戦に行っていたのがきっかけだった。当時人気だったいしいひさいちの『がんばれ!!タブチくん!!』の影響もあったと思うが、田渕だけ好きだったわけじゃなく、大田、山崎、行沢、蓬莱、スティーブ、テリーといった他の選手のことも好きだった。ちなみに当時を知る野球ファンからすると蓬莱だけがどう見ても浮いていると思うが、蓬莱は名前が変わっていたことと、「しゅんそく」*1だったことが幼心に強い印象を残していたのです。


さて、その頃の西武と言えば強くもなく人気もない球団だった。というか、そもそも当時のパリーグに人気のある球団などなかったし、セリーグにしてもヤクルトや大洋は不人気弱小球団の代名詞だったと言っていい。前出の『がんばれ!!タブチくん!!』でガラガラの神宮球場の外野席でフライパンを叩いて孤軍奮闘するオカダ応援団長*2のネタを読んだ記憶のある人もいることだろう。セリーグは巨人頼り、パリーグは壊滅状態というのが80年前後のプロ野球の状況だったんじゃないかと思う。


そんなプロ野球に一つの転機を生んだのは紛れもなく西武ライオンズだっただろう。広岡を監督に迎えた82年に西武初の日本一を果たしてからの躍進は目覚しく、86年、監督に森が、そして清原が入団してからはまさに黄金時代と呼ぶにふさわしい成績を残し続けた。また、それと同時に西武の人気も上昇した。球場へのアクセスの悪さから観客動員数は決して抜群とは言えなかったが、文化放送での完全生中継や、主にテレビ朝日での全国テレビ中継などによって露出は確実に増え、パリーグ全体への関心も高まっていった。俺は前述のように元々西武ファンだった上に祖父の影響もあってアンチ巨人でもあったので(うちの祖父は江川が大嫌いで、不二家ネクターのCMで江川の姿を見ただけでも不機嫌になりチャンネルを変えろと怒り出す人だった)パリーグが活気を増すこの時代の野球は楽しくてしょうがなかった。


ただ勝っているからいいというだけでなく、勝つことで興味もさらに高まり、どういう野球をやろうとしているのか、この選手はどんな選手なのか、そういった微細なところにも自然と理解は深まるようになる。さらに、自分でも野球をやるようになり、一つ一つの決めごと、例えば、ゴロを受けるときは腰を落してグラブを立てて体の正面で止めるだとか、ヒットを打ったときはボールの飛んだ方向を見るような形に一塁ベースをカーブしながら回り、外野手がボールの処理を誤るようならそのままスピードを落さずに二塁まで走るとか、そういったことを実際の練習で学び、ますます野球のことが好きになっていた。


80年代後半の西武黄金時代で印象深いことと言えば対巨人の日本シリーズでの清原の涙や秋山のバク宙ホームインなどもあるが、当時の熱気という意味では89年の近鉄との優勝争いこそが一番に思い出される。そう聞くと首をかしげる人もいるかもしれない。なぜなら、89年というのは黄金期の森西武が唯一リーグ優勝を逃した年であり、西武ファンにとっては非常に悔しい年だからだ。しかし、それでもやはりこの年の優勝争いは一番の記憶に残る。


大砲ブライアント擁する近鉄と常勝西武の激しい優勝争いを決定付けたのは、今でも語り継がれるダブルヘッダーの直接対決だった。西武は緒戦に郭泰源を先発させ、さらには渡辺久信を投入させるが、ブライアントの前に両エースともにホームランを浴び、結局ブライアントは直後のダブルヘッダー二戦目と合わせて四打数連続ホームランを叩き出して近鉄は連勝、西武はまさかの惨敗で最終的に優勝を逃すこととなった。ちなみにこのときのドキュメントの映像がyoutubeに上がっている(リンク)。いやー、川崎球場人いないわ。ちなみに、当時俺は中学生だったが、このダブルヘッダー、クラスではかなりの盛り上がりを見せ、授業中にも関わらずラジオを聴きながら後ろの黒板にスコアボードを毎回書き込んで報告する奴がいたくらいの騒ぎだった。学級崩壊!


西武が敗れてしまったにも関わらずなぜ西武ファンの俺がこのエピソードを一番の思い出に上げるのか。それは、逆説的にこの年こそが西武にとっても最もライバルに恵まれた年だったと言えるからだ。強いチームが全力で戦いながら辛くも敗れた、そこには当然それだけの相手がいたということであり、取るに足らない相手としか戦えないよりはよほど幸福だったはずだ。


実際、90年以降西武は日本一を続けながら少しずつ人気に翳りを見せていくことになる。何しろ強すぎた。さらに、手堅い野球というイメージがあった。そしてチームとしての力もピークを越えつつあった93年、例の大沢の発言によってとどめを刺される。強いのにバントばかりで西武の野球はつまらないという日本ハム監督大沢啓二の発言はスポーツ紙のトップを賑わせ、これによって決定的に森西武のイメージはつまらないものとされてしまった。


俺は当時、大沢に対して強く憤ったことを覚えている。勝つために必要だからバントするのは当たり前だ、そもそもバント一つきっちりと決めるのが意外に難しいことは野球を実際にやっていればわかるはずで簡単にバントさせるのが悪い(例えば平野がバントの名手として名を馳せる一方で一番バッターを務める辻発彦が器用そうなプレイとは裏腹にバントは苦手というのはわりと知られた話だ)、そもそも大沢は他のチームの戦い方にケチ付けておきながら自分はルーキーの山原を酷使して潰してるじゃねえか、そんな風にとにかく腹を立てていたものだ。


余談だが、バント失敗で思い出す名場面と言えば96年のオリックス対巨人の日本シリーズだ。巨人がノーアウト一塁二塁でチャンスを迎え、バッターは確か後藤だったと思う。この場面、巨人は当然のように送りバントを狙ってきた。何しろ日本シリーズ、一点の重みは普段以上のことだ。しかし、結果はバント失敗。巨人はこのバント失敗が響き試合に負け、優勝を逃す。これを見たとき俺は、「バント失敗」ではなく「バント阻止成功」としてオリックスが素晴らしいと思った。記憶が正しければ、ピッチャーが投げた球は高めの直球。これは、バントをするのに一番難しい、勢いを殺したゴロを転がすことが容易ではない球なのだ。バント阻止のためにはセオリーとされているが、しかし、高めの直球というのは普通に打つと長打の危険性が低くないリスクのあるボールでもあり、投げるのには勇気がいる。それをきっちりと行ったオリックスバッテリーと、処理をしっかり行った内野陣。三塁への進塁を狙うバントは二塁へのそれより難しいとは言え、見事なプレーだった。


話は戻るが、例のバント騒動以降、もはや出来上がったイメージは覆しようはなかった。そして、それを抜きにしてもすでにチームの実力も、バブルが潰れたことで親会社自体も勢いを失っていた。秋山のダイエーへのトレードに端を発し、平野、工藤、辻、そして清原がチームを去り、西武の黄金時代は寂しい最後となった。俺自身もこの頃から野球に対する情熱を失っていった。それは、応援していた西武がチームだけではなくフロントを含めて衰えていくことに失望したこともあるし、バント騒動でバントはつまらないという考えを是として「攻撃的な野球」をもてはやす風潮に嫌気を差したこともあった。しかし、後年には今度は「大味な野球はつまらない」みたいな物言いが出たこともあるし、つくづく勝手なものだなと思う。




さて、長々と思い出話を書き連ねてしまったが、昨日の落合采配の件について。正直な感想を言えば、最初に第一報を聞いたときは「つまらないことをするなあ」と思ってしまった。つくづく勝手なものだが、今の俺はもうかつてほどプロ野球に情熱がないし、何より今年は西武にとって色々とつらい年だった。もはや西武ファンと名乗るほどではなくてもやはり愛着のあるチームなだけに今年は本当にがっくりだった。そして、基本的にパリーグ贔屓なので、中日の日本一はあまり面白くない。だったら俺にとっては日本シリーズでの完全試合という記録達成の方が興味が沸くというのが率直な感想だ。


しかし、内容的には1対0の僅差。そして、先発の山井がすでに限界で自ら交代を申し出るような状況なら、交代は間違いなく正しいと客観的に思う。身勝手な一個人としては中日の優勝なんて面白くもないしどうでもいいが、腐っても野球好きの身としては、たとえまだ二戦落とす余裕があったと言えども、ちょっとしたことで流れの変わる短期決戦の舞台でましてや一点を争う勝負ならば落合采配は当然のものであり、結果としても正しかったと断言できる。


けれど、プロスポーツというのは大衆それぞれが身勝手な思い入れをぶつける対象であり、正しさとは無関係なところで濃い人から薄い人までが楽しむものでもある。一点を争う緊迫した戦いでの油断のかけらもない試合を楽しむ人もいれば、もっとミーハーに、派手さや物珍しさ、表層的なすごさを楽しむ人もいるし、あるいはただひたすらにとにかく贔屓の対象に思い入れて楽しむ人もいる。その誰もが満足の行く結果になるわけのことではない、それだけのことなんじゃないかと思いもする。そして、多くの人が注視すれば必然的に薄い人の声が反響しやすくなる。


そう、ちょっと他のスポーツに思いを巡らせばそれがどこにでもあることに気付く。たとえば相撲。かつての大横綱である北の湖はその強さがゆえに人気はさほどでもなかったと言うし、平成の大横綱である貴乃花にしてもデビューから兄弟ともに大スターとして輝きながら、ライバルである曙が故障で失速してただ一人強さを見せ付けると次第にその基本に忠実な相撲内容が退屈だと言われるようになってしまった。


また、たとえば競馬。皇帝と呼ばれた無敗の三冠馬シンボリルドルフもやはりそのあまりに理想的なレース振りと綻びのない強さからつまらないと言われることがあったし、記憶に新しいディープインパクトにしても、決して競馬ファンの万人が認めたわけではなく、他馬が弱かっただけに過ぎない、サンデーサイレンス産駒にふさわしく高い瞬発力を持ち、持続力も並みのサンデー産駒とはわけが違うが、それを発揮できたのは日本の固い路盤の高速馬場と、スロー中心で底力が問われにくい展開の利もあるなんて意見もあった。


スポーツは基本的には結果が大部分であり、その結果を全力で求める過程を見て楽しむものだ。だが、それは大部分であっても決して全てではなく、当たり前のことだが最終的には観客一人一人に楽しみ方は委ねられる。その楽しみ方には自分の理想通りに行かなかったことを好き勝手に文句言うなんてものだって含まれていいし、きっとそれはなくならないだろう。別に他人の価値観を許容しましょうなんていう陳腐な結論に持っていくつもりはない。それどころか、狭量な価値観を振り回して意見の合わない人間と罵り合うことでさえもスポーツの楽しみの一つと言ってしまっていいんじゃないか、スポーツはそれくらい懐が深い娯楽なのだから。それが、かつて常勝西武を愛し大沢監督を強く憎んだ俺の――あくまで現時点のものではあるが――野球のみならず全てのスポーツに対する結論である。

*1:まだ小さいのでしゅんそくと聞いても俊足という漢字がわからない。意味も漠然としか理解できていないがカッコいいことらしいとはわかっていた

*2:実在の人物であり、東京音頭や傘を使った応援を取り入れたのもこの人だった