初心

虫姫さまふたりを相変わらずちょこちょことプレイしている。オリジナルモード、アブパル使用で一番調子いいときに残機2ボム0でラストのラーサ様まで行けたが、大事なところでボム抱え落ちしてやっぱりワンコインクリアできず。まあクリアできるかどうかは半分どうでもいいというか、クリアしたい気持ちに変わりはないけれど、そればかり意識すると、苦手の3面後半で思うように行かなかっただけで集中力を乱してしまって、プレイしていて一番楽しい4面と5面の道中(ここは本当にプレイしていて気持ちがいい。スピード感ある攻撃をわりとアバウトに左右に切り返しながら、要所で隙間をかいくぐれるとかなり楽しい)を楽しみ切れずにプレイする羽目になってせっかくの時間をつまらなくしてしまう上に、結果も不本意に終わってしまって散々なことになってしまうので、それよりも初心(と言ってもほんの数ヶ月前だし)を忘れずにプレイすることを強く意識してる。


というか、元々10年やってなかったシューティングをやり始めた動機の一つにも、特にネット上で散見する抽象的でステロタイプな「ゲーム議論」に対する違和感、それも単に他人事としてではなく、自分自身も長くゲームをプレイして知識が積み重なるうちにそれがやはり何らかのバイアスを生んで、実際のプレイもろくに伴わずに「これはこんなもんだ」という底の浅い決め付けを持っている部分を感じていたので、だからこそそこを自覚した上で、ずっとやらずに苦手意識を持って敬遠していたシューティングに対して意識的に「初心者」として接して、机上の知識ではなくプレイを通しての実感を持ってもう一度自分にとってのゲームという娯楽の位置づけを確認し直し、「楽しい」という感覚をただ受身に与えてもらおうとするのではなく、自分自身もその感覚を獲得できるだけの姿勢を整えたいという考えがあったので、そこを忘れて「楽しい」という感覚から離れて散漫にただ結果を求めてプレイして、そしてそれが得られなかったら「これはここがクソ」みたいに吐き捨てるような遊び方にはならないようにと改めて思っている。


まあ、別にただ散漫に遊んで消費してそれを繰り返していくのでもそれで楽しければ何にも問題はないのだけれど、でも結局、経験と知識が積み重なれば積み重なるほど、惰性はより惰性となり、経験と知識だけで「これはこんなもんだ」で片づけられて、そして実際のプレイからはかけ離れたところで、ただ変な自意識が凝り固まることになるのが大概だし、まだ予定ではこの先の人生の方が全然長いのに今からそんなつまらないことにはなりたくないからね。10年たっても20年たっても、「初心者」としてまだプレイしていない新しいゲームに触れる喜びを味わっていられるようにしたいとほんと思う。


そういえば、虫姫さまふたりがまだ1.0だったときの2度目のプレイ、確か酒がけっこう入っていて酔っていたときに閉店間際の新宿のゲーセンで遊んだとき、これほんときついと思いながらボムを連発して何とか2面をクリアして、見知らぬ3面の森の中に突入してひたすら必死に視点は自機の周りだけに集中して結局中ボスで死んだときの感覚は今思いだしても気持ちがいい。ゲームの楽しさはそれが全てではないけれど、これからまた新しいゲームに触れたとき、この感覚が味わえなくなることだけはないようにしないとなあ。